成年後見について意見を交わす交流会に参加しました。
制度の明より暗の話が多く、成年後見を視野に入れていた私には良い学習の場となりました。
我が国はいまだなお、高齢化社会の進行をとどめることができていません。
単身世帯の増加と並行し、身寄りのない高齢者も増加傾向にあります。
このような背景のなか、成年後見制度はこれからの社会を担う重要な制度のひとつとして位置づけられています。
もし自分が、あるいは自分の家族のどなたかが認知症になっても、成年後見制度があるから安心とお考えの方もおられることでしょう。
しかしながら、現在の成年後見制度は制度的な課題があり、改善の余地があります。
制度的な課題に対する改善の余地としては、任意終了できない点、自己決定権の制限などがあるでしょうか。
これらは、以前の記事でまとめましたが、中間試案にて改善される動きがでています。
成年後見制度はより使いやすい制度に変わりつつあるのです。
制度上の使いづらさが解消されれば、成年後見制度を使う者が増えるだろう――こうした目論見が思惑通りにいくのかどうか。
結論から申せば、(このままいけば)成年後見制度の利用はどこかで頭打ちになる、と考えます。
仮に制度的な課題が解消されても、後見人を巡る課題が依然残ったままになると予想されるからです。
私は、先日「LET’S MEET UP」というイベントに参加しました。
障がい者施設、支援団体、成年後見支援団体らが成年後見について話し合う集まりでした。

富山市で成年後見支援センター理事長であるT先生、ならびに20年以上の後見人経験をお持ちのY先生が中心となって成年後見をお話になられました。
そのお話を聞いて私が思ったことは、制度がどれだけ利用者にとって使いやすいものに改善されようとも、後見人を巡る課題は簡単に解消されないのでは、ということです。
後見人を巡る課題とは、被後見人のご家族、医療機関等の関係者が後見人を心身ともに疲弊させるというものです。
中間試案にて改善される動きが出ていると前述しましたが、あくまでもそれは制度上の改善であるということに注意が必要でしょう。
後見人制度を巡る課題は、身上監護にあたる行為の認識にある齟齬から生じると考えられます。
ところで身上監護とはなんでしょうか?
ご本人の生活や健康の維持、療養等に関する事務とされます。
具体的には、これらのものが該当するでしょう。
これらをみていただければ、身上監護とされるもののなかに、被後見人の食事や着替え、入浴の支援といったいわゆる介助が含まれていないことがお分かりになるでしょう。
ところが、医療機関等の関係者は、被後見人の心身に異常がみられれば夜中でも付き添いを求めたり、ときに被後見人のリクエストだからとパンを買いに行かせたりといった身上監護を超える行為が強いられることもあるようです。
その結果、身上監護をきっちり行った後見人より、被後見人のご家族や医療機関等の要望に従った後見人のほうが良い後見人という評価がされてしまいます。
つまり、被後見人につきっきりになり、被後見人のご家族や医療機関等からのリクエストに応えれば応えるほど、その後見人は良い後見人とみなされるということです。
法に定められた行為以上の行為を求める現状は、後見人をただ疲弊させるものです。
たとえ、後見人を必要とする者の大半にご家族がおらず、ご家族がおられないからこそ後見人に家族の代わりを求めざるをえないという状況から仕方なく、といった事情があるにせよ、特に専門職後見人ではない行政書士、市民後見人にとっては酷な状況であるにはちがいないのです。
こういうふうに見てくると、制度がどれだけ改善されても、(現状のままでは)成年後見制度の利用はどこかで頭打ちになる、と考える理由もご理解いただけることと思います。
これからの社会を担う重要な制度のひとつとして位置づけられる成年後見制度ですが、身上監護にあたる行為に対する後見人と被後見人の家族、医療機関等の関係者との間にある認識のズレが解消されない限り、真の意味で成年後見制度の広まりは制限されるのではないかと考えるのですが、いかがでしょうか?



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